
伊豫國の怪腕 三谷志郎
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篠山鳳明
2026年09月29日 15:37 visibility49
愛媛県は四国の中ても野球どころとして有名で有る。
古くは正岡子規が夏目漱石が『野球(のボール)』を楽しみ、日本の近代野球の発展にも関与して来た所で有る。
代表的なのは『夏将軍』と言われる松山商業、西条高校等が挙げられるが、私はタオル生産で有名な今治西高校を忘れることは出来ない。
今治西(当時は今治中學)と言えば1918年(大正7年)第4回全国中等學校野球優勝大会に予選を勝ち抜き出場予定であったが第4回は米騒動で大会が中止、大会があれば実質は愛媛県で一番最初に甲子園に出場していた中學だったのだ。
そんな今治西高校で我々の世代気になる投手がいた。
良い投手だった。眼鏡を掛けた大柄な投手それが三谷志郎だった。
三谷は第58回大会、59回大会と夏の甲子園へ連続出場している。
特に第59回大会の夏井とのバッテリーは最強であった。
あの早稲田実業の谷田部、弓田を大差で破り、智辯学園の大会屈指の右腕山口哲にも7安打4得点守っては三谷が智辯学園打線を米田の安打1本に抑える完封。
準決勝戦の東洋大姫路戦は事実上の決勝戦であったと思うが、非情までの投手戦。
最後は東洋大姫路のスクイズの1点に泣いたがそれもまた球運だったのかも知れない。
あの夏今思えば今治西が1番頂点に近づいたベスト4ではなかったかと思う。(第55回も矢野-田鍋でベスト4だったが)
三谷投手はその後早稲田大学へ進学
早稲田で神宮のマウンドに何度も立っている。
そんな今治西も2015年以来甲子園から遠ざかっている。
胸に『IMABARI』、帽子に『W(ウエスト)』ののマークが甲子園で躍動する日を願って止まない。
- 事務局に通報しました。

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