
あの夏の思い出 滋賀県立 甲西高校
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篠山鳳明
2026年05月14日 05:18 visibility817
私は出張で滋賀県の奥地に有る電子部品工場を目指していた。
草津駅から電車にどれくらい揺られて気が付いたらそこの駅名は甲西駅だった、凄い田舎だった。
『あれ?ここが、あの甲西高校が有る甲西か?』と思っていた。
1983年第65回全国高校野球選手権大会で桑田、清原のKKコンビが1年生で全国制覇をしたあの夏湖南工業団地の一角に新設の高校が開校した。
それが滋賀県立甲西高校であった。
270人が1期生として入学したが、生徒を集める事も大事、その為部活動にも力を入れ野球部も開校して直ぐに創部、監督に就任したが
奥村源太郎(甲賀高校→中京大学)で有る。
後に
親しみを込めてトレードマークの髭をもじって『髭のゲンさん』として全国的に有名になる監督だ。
1期生にはエース金岡、主将の石躍、西岡等がいたが、入部動機は各人色々あれどここで甲子園を目指して野球をやる等と決意して入部したのは誰も居ないだろう。
西岡は
『中学は補欠だったので、甲西だったらレギュラーになれると思った』からと語っている。
最初は石ころだらけの野洲川の河川敷のグランドの整備やお古で貰って来た道具の手入れ等をこなした。
1年生だけで臨んだ最初の夏の大会は水口東に0-7で敗退した。
ただ監督の奥村監督は地道はノックで守備を鍛え、金属バットの利点を生かしたトレーニングそしてチームも徐々に力を付けて来た。
そして公式戦愛知に初勝利、夏の滋賀県大会も近江兄弟社17-0と大勝している。
1985年春季大会は3位になり、近畿大会へ出場、強豪の尾藤監督率いる箕島に1-2の惜敗したが、既に夏の選手権大会出場を狙えるレベルまでチーム力が向上した。
そして夏の滋賀県大会
1、2回戦を勝ち上がり準々決勝戦は選抜大会出場した堅田高校。
4-3で逆転勝ちで勢いに乗り、準決勝戦八日市に打ち勝つと、
決勝戦は古豪八幡商業、八幡商業をエース金岡の好投で2-0とシャットアウト。
見事3年で甲子園初出場を果たした。
甲子園では二回戦から登場
古豪県岐阜商業に逆転勝ち
三回戦は
これも九州の古豪の久留米商業を延長の末、延長に入りリードされるも、これまた逆転勝ち
準々決勝戦は
剛腕 佐々木主浩のいる東北高校
これもまたサヨナラ勝ちで勝ち上がった。
もうこうなるとミラクルと言う形容詞がこのチームにぴったりだ。
準決勝戦は王者PL学園。
清原に2本のホームランを打たれた、PL学園のランナーが目まぐるしく塁上を廻った。
終わってみれば2-15の大敗。
それでもあの夏の甲西高校の勝ち上がる戦いは多くの高校野球ファンの心を鷲掴みにしたのではないだろうか?。
あれから時が流れて41年。
私は夏の大会近くになるとあの夏の『髭のゲンさん』の笑顔と、薄グレーの黄色の縁取りの『KŌSEI』のユニフォームを思い出してしまうのは私だけであろうか?。
以上です。
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