戦前の外地の高校野球

最近はこんな物まで興味を持って来た。

『戦前外地の高校野球』

 

戦前は台湾、朝鮮、満州は日本の領土の一部となっており、それに伴い夏の甲子園大会は外地のこの三地域からもその地域の予選を勝ち抜き出場していた。

 

外地からの甲子園大会に参加するのは名誉な事ではあるが、当時は戦時下の影響中色んな国民感情が渦巻く所で試合をするという事は精神的にも大変な重荷であったと推測してしまう。

 

大連商業、嘉義農林の健闘は有名だが、満州からは天津商業等、台湾からは台北工業等、朝鮮からは釜山商業、平壌中學等も出場していた。

 

この作者の川西玲子さんは天津生まれ、父親が天津商業で捕手だった川西良主夫氏である。

 

1938年(昭和13年)と1939年(昭和14年)に天津商業(満州代表)として甲子園に出場している。

 

その時の天津商業の監督が当時まだ天津にいた

後の高知明徳の松田昇さんだとは知らなかった。

 

何故だろうか?

何となく運命じみた物を感じてしまった。

 

 

 

 

 

sell野球

chat コメント 件

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。