
第18回全国中等學校優勝野球大會(中京商業夏連覇)
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篠山鳳明
2026年01月18日 05:20 visibility309
太田四州氏は日本スポーツ界のライターとしての草分け的存在で有る。高松高校から法政大学に進みスポーツライターとしてその道を極めた。
東京六大学のバイブルと言われる『野球年鑑』の作成も、この太田四州氏と飛田穂洲氏の尽力による所が大で有る。
1932年(昭和7年)第18回大會の中京商業🆚松山商業の決勝戦の
アサヒスポーツの書出は下記の通りで有る。
『この日がある為に膚をつんざく寒風にさらされ、手足燗らす烈日に焼かれて鍛治精錬にこそいそしめ、七百チームの若人が血をたぎらせて憧れの殿堂をこそ仰げ、若き球人の目指す尊とくも輝かしの王座定まる日』と言う、如何にも太田四州氏らしい、そして時代背景を醸し出す書き方である。
昭和7年8月20日決戦の幕は切って落とされた。
一塁側は前年度優勝の中京商業、三塁側は松山商業が陣取る。
試合は終始中京ペース
1回裏杉浦が安打で先制、2回にも押出で追加で2-0と有利に進める、6回裏にも恒川が満塁から安打でダメ押しの3点目、中京商業の連覇見えしと誰もが思ったが、松山商業は最終回疲れの見えた中京商業の大エースの吉田正男をとらえて、連打に2点。当たっている山内にも1.2塁間を破る安打が出て土壇場で松山商業が同点に追い付いた。
スタンドからは熱狂的な松山商業ファンの歓声。
試合は延長戦へ。
延長11回裏村上が四球で出て、恒川が三遊間を抜く安打、二死ながら櫻井が二塁手左を抜く安打で村上が俊足を飛ばして、サヨナラのホームを踏んだ。と書いてある。
中京商業は翌年も平安高校を2-1で下し、個々に前人未到の三連覇を成し遂げたのである。
今から94年前の昭和7の出来事。
天下の中京商業、四国の名門古豪の松山商業。
夏の甲子園の決勝戦で生まれた昭和の名勝負、今後の甲子園で再現があるかどうかわからない。
中京商業 吉田正男投手(明治大学→藤倉)、松山商業三森秀夫投手(法政大学(中退)→巨人軍→八幡製鐵所)、景浦將投手(立教大学(中退)→阪神軍)が存命であったならば当時をどの様に語るのであろうか?。
時代が幾ら変わろうとも、あの時代、あの場所で有った、あの試合は事実で有り、決して風化させては行けないと思っている。
それが先人の方々達へのせめてもの恩返しだから。
※アサヒスポーツ 第18回全国中等學校優勝野球大會 特別号より写真引用。
- 事務局に通報しました。

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