
黒紙 義弘(崇徳高校→亜細亜大学→東芝)
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篠山鳳明
2026年01月07日 07:47 visibility495
広島県の崇徳高校と言えば男子バレー部が有名で有るが、1976年第48回選抜高校野球大会で黒田→應武のバッテリーと山﨑隆造主将や樽岡、小川、永田等身体能力が高い選手が揃い、初戦の高松商業、次戦の鉾田一高戦は苦戦したが、その後は危なげなく勝ち進み決勝戦も小山高校を5-0と黒田真二が相手打線を3安打に抑え完封勝ちをして見事初優勝、紫紺の大旗を広島県へ持ち帰った。
歴史は一朝一夕には作られないと言うが、実はその4年前に左腕の大投手が居たということを知ってる人は多くないのではないかと思う。
黒紙義弘(71歳)広島県の崇徳高校出身。
1971年秋季中国大会では達川光男のいた広島商業に準決勝で敗れる。翌年の1972年春季中国大会でも準決勝で竹舛和也を擁する広陵高校に敗れた。
1972年最後の夏の大会は初戦で延長10回広島工業に1-2と敗れ甲子園出場はならなかった。
1973年に亜細亜大学に入学、大学通算は12勝、11敗で有る。
1977年東芝入社。
1978年な都市対抗で東芝は勝ち上がり、黒紙のスクリューも冴えた。決勝戦では日本鋼管の木田勇に投げ勝ち4-0で優勝、黒獅子旗を勝ち取った。また同時に『橋戸賞』も受賞した。
1981年も都市対抗で東芝は勝ち上がり決勝戦まで進出、しかし電電東京の高校時代からのライバル竹舛和也に競り負けて2-3と惜敗した。そして敢闘賞に値する『久慈賞』を獲得した。
1983年の都市対抗はリリーフで活躍
先発を若手に任せてていた。若手は投手では川端(法政)、池田(法政(日産補強))、野手では青島(慶應)がいた。
東芝はまたしても決勝戦まで勝ち上がり新日鐵名古屋を8−3で粉砕、黒紙自身2回目の都市対抗優勝を飾った。
1984年静かに現役を退いた。
高校野球では選抜大会優勝した黒田真二投手(故人)が大きく取り上げられるが、その前に黒紙義弘と言う左腕の大投手が居たということを忘れてはいけない。
黒紙投手は都市対抗で『橋戸賞』と『久慈賞』を受賞しているが、長い都市対抗の歴史のなかで両方の受賞者は後は大日本土木の中原宏投手しか私は知らない他にも居るのだろうか?
また亜細亜大学の後輩の阿波野秀幸投手にプロ野球でも生き残れる様にとスクリューを教えたのはこの黒紙義弘で有る。
※SNS
※激動の昭和スポーツ史
※サンデー毎日 都市対抗野球 第48回大会
※サンデー毎日 都市対抗野球 第51回大会より写真引用。
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