☆センバツ21世紀枠への道 〜一度だけの甲子園・土浦一高〜

茨城の県立高校には、「一高」「二高」など校名に数字がつく「ナンバースクール」が全国最多の28校も存在している。具体的には、水戸一高、水戸二高、水戸三高、土浦一高、土浦二高、土浦三高、古河一高、古河二高、古河三高、日立一高、日立二高、鉾田一高、鉾田二高、石岡一高、石岡二高、竜ヶ崎一高、竜ヶ崎二高、取手一高、取手二高、下館一高、下館二高、下妻一高、下妻二高、結城一高、結城二高、水海道一高、水海道二高、太田一高の28校である。
ナンバースクールが多い理由は、戦後の学制改革に伴う旧制中等教育学校の再編・改称時に、旧制中學校を「第一(一高)」、高等女学校を「第二(二高)」などとし、その後も改称なく継承されているためである。

 

この県立28校の中に、夏の甲子園で全国制覇を成し遂げた高校がある。そう、あのKKコンビを擁するPL学園を決勝戦で破って優勝した取手二高である。

その時の取手二高を率いていたのが、名将・木内幸男監督である。
木内監督の甲子園通算成績は40勝19敗、出場は春7回、夏15回、優勝は春1回、夏2回である。甲子園での40勝は阪口慶三監督と並び歴代8位タイである。

 

木内監督の選手時代はどうだったのだろか?

茨城県立土浦一高に入学し(入学時は土浦中學)、野球部3年生の時には主将でセンターを務めた。最後のプレーは、1950年(昭和25年)の第32回夏の県予選準々決勝であった。茨城に 3 - 2 とリードした最終回の守りで一、二塁のピンチを迎えた。センターを守る自分の前に飛んできた打球にダイビングしたが、グラブからボールがこぼれ落ち、打球は外野を転々、サヨナラ負けとなった。
高校卒業後は、慶應大学への進学を辞退し母校のコーチとなり、1953年(昭和28年)に監督に就任、1956年(昭和31年)まで指導を続け、1957(昭和32年)年4月に取手二高へ移ることとなる。
その年、土浦一高は木内監督が指導した選手たち(安藤統男氏など)の活躍で第39回夏の全国大会に初出場を果たした。

 

 

 

名将・木内幸男監督の母校である土浦一高の試合が観たくなり、第79回秋季関東地区高等学校野球茨城大会が行われるJ:COMスタジアム土浦に向け、愛車のレクサスLBX“Elegant”を走らせた。

 

常磐道の桜土浦インターを降りて、暫く走るとマリーナが見えて来た。そう、ここは土浦港。土浦港といっても、海ではなく、日本第二の湖として有名な霞ヶ浦にある港だ。
土浦港のある霞ヶ浦沿岸はレンコンの一大生産地で、日本一の生産量を誇る。全国の半分近くのレンコンは茨城産で、東京の市場に限ると90%以上のシェアーを誇る。レンコンには、豊富なビタミンCや食物繊維をはじめ、強い抗酸化作用を持つポリフェノールなどが凝縮された栄養満点の野菜で、根菜類の中では珍しい栄養バランスを持っており、美容から健康維持まで様々な効果が期待できる。


話を戻そう、この土浦港の目の前がJ:COMスタジアム土浦だ。
J:COMスタジアム土浦の3塁側スタンド最上段に登ると視界が一気に開け、視線の先には遮るもののない広大な霞ヶ浦の水面と空が広がっていた。

 

 

 

茨城県立土浦第一高校は茨城県土浦市真鍋に所在し、1897年(明治30年)に茨城縣尋常中學校土浦分校として創立された歴史し、現存する旧本館が全国の旧制中學の建造物として初めて国の重要文化財に指定された。開校してからこれまでに東大合格者を1,142名輩出しており、茨城県内屈指の進学校である。

野球部は1898年(明治31年)に創部され、茨城県内では水戸一高に次ぐ歴史を有する。ユニフォームは白地で、左胸に花文字の 「T」 一文字マークである。
甲子園には、1957年(昭和32年)の第39回夏の全国大会に1度だけ出場している。この大会は早稲田実業の王選手に注目が集まった大会であった。結果は、初戦で県和歌山商に 4 - 0 で勝利し、甲子園初勝利を挙げた。続く2回戦は、県岐阜商に 0 - 2 で敗退となった。
夏の全国大会予選には、1917年(大正6年)の第3回大会予選(関東大会)に、茨城県勢としては竜ヶ崎一高に次いで、水戸商業とともに初めて参加した。この予選には、東京から慶応普通部(慶応)、早稲田実、早稲田中(早稲田)、荏原中(日体大荏原)、麻布中(麻布)、立教中(立教新座)、成城中(成城) 、明治学院中(明治学院)、大成中(大成)、高輪中(高輪)、豊島師範の11校、神奈川から横浜商、神奈川一中(希望ヶ丘)の2校、茨城から土浦中(土浦一)、竜ヶ崎中(竜ヶ崎一)、水戸商の3校が参加した。結果は、初戦で神奈川一中に 11 - 12 でサヨナラ負けを喫した。
夏の予選初勝利は、1921年(大正10年)の第7回大会(関東大会)で、宇都宮農(宇都宮白楊)に 12 - 4 で勝利した。
夏の予選通算成績は110勝99敗1分である。

 

 

土浦一高の対戦相手は、茨城県ひたちなか市に所在し、1985年(昭和60年)に創立され、夏の予選通算成績が42勝41敗の佐和高校だ。
試合が動いたのは3回表で、佐和高校が1点を先制する。
土浦一高の反撃は5回裏で、1点を返して同点に追いつく。
同点で迎えた7回表、佐和高校が1点を奪いそのまま逃げ切った。
土浦一高は佐和高校を上回る8安打を放ち、何度もチャンスを作ったが、あと一本が出ず敗退となった。

 

佐 和  001 000 100 = 2
土浦一  000 010 000 = 1

 


夏に1度だけ甲子園に出場している土浦一高、2度目の甲子園出場に期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

chat コメント 件

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。