☆センバツ21世紀枠への道 〜悲運の成東〜

春夏通算での甲子園勝利数153勝、勝率.550を誇り、これまでに222名ものプロ野球選手を輩出している「野球王国千葉」における選抜大会優勝は過去に一度もなく、夏の全国選手権大会優勝は1975年(昭和50年)の習志野高校が最後で、半世紀以上日本一がない。対照的に千葉の周辺都県は平成以降春夏ともに優勝旗を手にしている。千葉県勢の全国制覇が待ち遠しい。
また、千葉の高校野球は特定の私学が連覇を重ねる他県とは異なり、毎年目まぐるしく代表校が変わる「戦国千葉」と呼ばれ続けており、非常に見応えのある試合が多い。


千葉の高校野球は公立校が牽引した歴史が長く、伝統的に投手中心の守備的なチームが多い。「野球王国千葉」の礎を築いたのは、昭和中期(昭和40年〜昭和50年)の銚子商業と習志野高校の公立2校であろう。この時代、銚子商業と習志野高校に肩を並べていた高校といえば、やはり、松戸監督が14年間率いた千葉の名門・成東高校であろう。
夏の予選では、特に銚子商業と熾烈な戦いを繰り広げており、1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)まで4年連続1点差で成東高校が敗れることとなる。(銚子商 1 - 0 成東、銚子商 1 - 0 成東 ※銚子商全国8強、銚子商 1 - 0 成東 ※銚子商全国制覇、銚子商 2 - 1 成東 参考:1970年 銚子商 2 - 1、1967年 成東 4 - 0 )
そしていつしか、人々は成東高校を「悲運の成東」と呼ぶようになった。

 

 

 

伝統ある成東高校の新チームの試合が観たくなり、第79回秋季千葉県高等学校野球大会予選敗者復活戦が行われる船橋市民野球場に向け、愛車のレクサスLBX“Elegant”を走らせた。

 

船橋市民野球場のある船橋市は、非政令指定都市では日本一の人口65万人を有し、千葉県内では千葉市に次ぐ第2位の都市である。

この時期の船橋市といえば、ふなっしーでお馴染みの梨である。千葉県は「野球王国」のみならず、梨の栽培面積、収穫量、産出額のすべてで日本一を誇る「梨王国」でもある。よって、千葉の緻密な野球に「つけ入る隙なし」という訳になる。
さらに話はそれますが、Black先生の記事で分かるように関東以外の球場では何かしらの山がはっきり写り込んでいます。ところが、関東の球場、特に南関東、東関東だと森や林は見えても、近くに山が見えるケースはほとんどありません。こんなところからも、関東平野は日本一広いということが感じ取れます。さらに千葉県においては、日本で唯一、標高が500mを超える山がなく、日本一標高が低い「山なし県」であるため、球場から山を見ることは至難の業なのです。

 

 

 

本題に戻ろう。

千葉県立成東高校は千葉県山武市に所在し、1900年(明治33年)に千葉県佐倉中学校成東分校として創立された歴史を有する。主なOBは、元阪神、オリックスの監督を務めた中村勝広氏、元中日の鈴木孝政氏などである。
野球部は1902年(明治35年)に創部され、千葉県内では佐倉、県千葉、成田、銚子商、木更津、安房、茂原樟陽に次いで、佐原、長生と並ぶ歴史を有する。ユニフォームはアイボリーホワイト、胸にはアルファベットで「NARUTO」の文字、左袖には野球王国の証「千葉」のマークが付されている。
夏の全国大会予選には、千葉県内では銚子商、千葉師範、県千葉、成田に次いで、1922年(大正11年)第8回大会予選(関東大会)に初参加した。結果は、成田中(成田)に 16 - 5 で勝利し、予選初勝利を挙げた。
夏の予選通算成績は164勝94敗、優勝1回、準優勝4回である。

 

 

 

試合の方は、2022年の九州場所において西前頭9枚目で12勝3敗の成績を残し貴景勝と高安を加えた28年ぶりとなる3人による巴戦を制して幕内最高優勝を飾った阿炎の母校である千葉県立流山南高校を相手に、11 - 1(6回コールド)で勝利した。

 

 

 

この試合で流山南高校のセカンドが左利きの選手であった。(背番号4で投手として先発、その後セカンドの守備につく)。左利きの内野手を見るのは初めてで少々驚いた。

 

 

 

創部124年の伝統を誇る成東高校、「悲運の成東」と称された時代もある成東高校、一般枠でのセンバツ出場は勿論、21世紀枠での出場にも期待したい。

 

 

 

 

 

以上です。

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。