
水戸一高野球部(一球入魂に培われた精神)
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篠山鳳明
2025年12月31日 14:53 visibility197
1878年(明治11年)に茨城師範学校(現在の茨城大学教育学部)の予備学科として設置された。
近代の学校制度下で設置された高等学校(に現在相当する学校)としては県内最古の高等学校である。
明治期に幾度かの改称を行い、1901年(明治34年)以降は「茨城県立水戸中学校」となる。
1948年(昭和23年)に学制改革を迎え、新制高等学校への改組などにより現在の「茨城県立水戸第一高等学校」が成立した。
敷地は水戸城の旧本丸跡地に立地しており、水戸城では唯一現存する建築物である薬医門が校内に移築されている。全校生徒が一昼夜かけて70キロを歩き切る「歩く会」が名物行事である。「奥久慈コース」「つくばコース」「東海コース」の3つのコースがある。恩田陸の小説であり、演劇や映画化された「夜のピクニック」のモデルになっている。
やはり水戸一高野球部と言えば飛田穂洲翁と石井連藏先生を抜きには語れない。
学生野球の父と言われる飛田穂洲翁は茨城県常澄村大場の生まれで早稲田大学では主将として活躍、監督も歴任されその後は朝日新聞社に入り、ネット裏から球児達を時には厳しく、時には優しく見守った。
また飛田穂洲翁の流れを継ぐ、石井連藏は茨城県大子町の出身で水戸一高から早稲田大学へ早稲田大学ではエースとしてまた強打者として活躍、後に二度に渡り監督を歴任し『鬼の連藏』と選手から恐れらた。
そんな二人の母校水戸一高野球部史が『熱球120年水戸中学、水戸一高野球部の軌跡』として出版されたものを運よく入手する事が出来た。
水戸一高は過去に三度甲子園へ出場している。
二度は水戸中学時代
1929年(昭和4年)第15回夏 1-3(静岡中学)
1930年(昭和5年)第16回夏 2-3(東北中学)
一度は水戸一高時代
1954年(昭和29年)第36回夏 1-3(中京商業)
であり、甲子園での勝利はまだ一度もない。
茨城県県下での公立では偏差値では土浦一高と1、2を争う高さ。そんな水戸一高も最近では復活の兆しを見せ始め地方大会では上位に顔を出す事が多々ある。
胸に『MITO』と書かれた純白のユニフォームがまた甲子園へ登場して、今度こそ校歌を歌える喜びを期しているOB、OG各位は数知れずだと思う。
頑張れ一高!。
PS
これがたぶん今年最後の投稿になります。
今年は鶴丸師匠、black先生、その他ブログを見て頂いた方々ありがとう御座いました。
また来年も元気にお会いしませう。
それでは、良いお年お迎え下さいませ。
- 事務局に通報しました。

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