
愛媛県立 松山商業(格式ある伝統に脱帽)
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篠山鳳明
2025年12月29日 05:18 visibility119
夏将軍の代名詞はここから始まる(愛媛県立 松山商業高校)
愛媛県の松山市はご存知の通り、正岡子規が、夏目漱石が野球に勤しみ、古くから野球どころで有る。
米国から伝わったこのスポーツを正岡子規は『ノボール』と言いそれを中馬庚が『野球』と呼称した話は余りにも有名で有る。
松山を代表する高校はなんと言っても夏将軍と言われる松山商業で有る。しかし意外にも松山商業は夏の甲子園より、春の甲子園での優勝の方が早いのである。その春の選抜大会には1925年(大正14年)の第2回大会で有り、夏の甲子園の優勝はこの1935年(昭和10年)の第21回大会まで10年待たなければならなかった。
第21回大会には全國各地区から22校が出場した。
ベスト4には育英商業、早稲田実、松山商業、愛知商業が勝ち上がった。
準決勝早稲田実🆚育英商業は延長10回育英商業が34-3で早稲田実をサヨナラで破った。
松山商業🆚愛知商業は松山商業の中山投手の要所を抑える好投で4-0と退けた。
決勝戦は
松山商業🆚育英商業
決勝戦も松山商業の中山投手がまたも要所を締め、6-1と好投初の深紅の大旗を手にした。
松山商業はその後第32回、第35回、第51回、第78回と4度の合計夏5度の優勝を果たしている。(第32回は松山東としてカウント)
育英は1993年(平成5年)の58年も優勝まで待たなければいけなかったのだ。
松山商業と言えば、景浦将、千葉茂等の名手を生み出している四国四商の中でも名門の中の名門。
そして『夏将軍』の伝説は此処から始まったのだ。
- 事務局に通報しました。

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