恩師の経歴を追ってみました。

怖い監督でした。

何回殴られただろうか?、何回蹴られただろうか?、何回『お前なんか野球辞めちゃえ!』と言われただろうか?、何回辞めたいと思っただろうか?。

 

けど、何だかんだで三年間やり続けてしまった野球。

 

やはり、グランドでは厳しかったけどそれ以上に情が有った。

 

新チームになった1年秋の大会

最初の試合で前日前乗りで会場近くのある旅館に宿泊した時、夕食時席が監督の隣しかなく座った。

 

ヤバイ食事に刺身が出ているではないか?。

私は高校時代は生物は苦手で、残していたら

『お前!、それ食わないと明日試合で使わないぞ!』と言われたが、魚は焼いて食うものどうしても食べれなかったが、監督が食べ終わり帰ったので、よしよしと残した。

 

試合当日

スターティングメンバーのレフトに私の名前は無かった。そう私が刺身を残した事が分かっていたのだ。

 

その時私は『この人に嘘は通じない、誤魔化すことなんて出来ない』と痛感した。

 

そんな監督も自分から自分の過去の事は一言も聞いていない。ただ誰が『法政大学出身で4年間プルペン捕手』だったと聞いたことが有った。

 

調べました。

見つけました。

法政大学から卒業して帝国石油秋田へ行って『都市対抗』まで出場している。

 

法政大学では

甲子園優勝投手の柳井高校友歳投手と同期だ!。

 

名前を出さなくてもおわかりでしょう?

 

亡くなられて20年位経つが改めて思うと凄い方から3年間野球を教わった私は幸せだったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

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