1968年(昭和43年)第40回選抜大会 大宮工業初優勝

私の故郷は秋田県で有るが、秋田と言っても昔は南部藩の一部で有ったので秋田市よりは盛岡市の方が近い。

 

そんなものなので 高速は東北道を使い、新幹線は上野から東北新幹線を使用している。

 

東北新幹線に乗り上野から出発すると20分程で人口約46万人の大宮市だ。

 

大宮市は浦和市(現在 さいたま市 人口48万人)に次ぐ埼玉県第二の都市で有るが、さいたま市が誕生する前は、埼玉県での人口は第一位であった。

 

東京から見れば北の玄関口、東北新幹線と北陸新幹線の分岐点交通の要所、また歴史的格式が有る氷川神社も有りまさに埼玉県を代表する都市で有る。

 

1968年(昭和43年)まさに時代は高度経済成長期の真っ只中、2年後には日本の成長を世界に示すべく大阪万博が控えていた。

 

そのは春の選抜大会に大宮工業は初出場した。 エース吉沢を大黒柱に総合評価は85点と高い方であったが、優勝候補筆頭とまではゆかなかった。

 

大宮工業は 一回戦 防府商業に大苦戦したがからくも5-4で逃げ切る。

 

二回戦の相手は浜松工業打撃戦の末9-4で下した。 準々決勝は古豪の平安高校 初回こそ硬さが見られたが6−3と難敵を振り切る。

 

準決勝は東尾と言う評判の投手かいる初出場の箕島であったが5-3で東尾を攻略、そしていよいよ決勝戦。

 

反対側の山から上がってきたのは野球どころ広島県代表の尾道商業であった。

 

尾道商業は初戦から1、2点の僅差で勝ち上がり準決勝では同じ中国地区の倉敷工業に3−1と勝利している。

 

エース井上も183㌢と上背が有り球が重い。 決勝戦は大宮工業🆚尾道商業の対戦となった。

 

両チーム共に事前評価は85点、中の評価だった。

 

決勝戦は4月6日に行われる。

 

初回尾道商業の攻撃、大宮工業の吉沢の立上りを攻め2点を先取した。吉沢はこの時風邪をこじらせ発熱をしており万全の調子ではなかったのだ。

 

吉沢は我慢の投球 そんな中見方が井上に連打を浴びせ4回裏3点を奪い逆転に成功。 吉沢は最後まで気迫の投球でその後は尾道商業に得点を許さなかった。

 

この試合尾道商業は4回裏のピンチで1点もやらない守備体型を取り傷口を大きくしてしまったのだ、野球は9回を終わり1点でも勝っていれば勝利なのだ。

 

そこを尾道商業は間違えたのかも知れない。

 

大宮工業は選抜大会優勝の勲章を引っ提げて選手権大会も出場した。

 

一回戦は古豪平安に2-1と競り勝ったが、二回戦ではあの大田卓司がいた津久見に3-7で敗れている。

 

吉沢はその後は東京六大学の慶應義塾に進学したが、大学時代は三塁手として活躍した。 本人はプロ野球は『足が遅かったので諦めた』と言っていた。

 

そんな吉沢敏雄さんが亡くなられてもうすぐ12年が経つ。

 

私はつい先日まで吉沢さんが静岡県の天竜市二俣町(現浜松市天竜区)の出身だとは知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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