
高松商業高校の輝かしき伝統
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篠山鳳明
2026年04月28日 06:04 visibility202
1921年(大正10年)と言えばあの文豪川端康成が伊豆の踊子のモデルとなった伊藤初代から一方的に婚約を破棄された年で有る。
文豪を振った伊藤初代とはどんな女性だったのか?写真でしか分からないが、可愛らしい綺麗な方であったようだ。
それから4年後の1925年(大正14年)第11回大会で高松商業が夏の甲子園で四国四商と言われる中でいち早く全国制覇した。
高松商業はその1年前の1924年(大正13年)第1回選抜大会でも優勝している。
エースはご存知宮武三郎氏とリリーフの本田竹蔵氏の2本柱、井川喜代一氏、河津二三男氏、中川忠次氏等がおりそのナインを主将の兒島正氏(現代は児島)が纏めた。
高松商業は2回戦からの出場
東山中學 14-0
3回戦 静岡中學 4-1
準決勝 大連商業 9-2
決勝戦は早稲田実業 5-3で下した。
決勝戦は2回に一挙5点を入れて早稲田実業の猛追を3点に抑えての初優勝であった。
高松商業はその2年後も水原茂氏がエースで早くも2回目の優勝を飾った。
古い高松商業の應援には必ず『金毘羅さんの大団扇』が登場する。やはり金毘羅さんは讃岐の方にとっては信仰の場所何だと思う。
【金毘羅さんの大団扇】
【迷子を告げる案内人】
私は高校野球の歴史毎を紐解く前は夏将軍松山商業が夏の優勝は一番早いのだろう?と思っていたが、違っていた。
やはり物事と言うのは良くも悪くも自分で調べてみないとわからないものだ。
手元に有る一番古い雑誌はこの高松商業優勝時の雑誌で有るが、もっと前の時代の物が有れば是非拝ませて欲しいものだと思っている。
四国の名門高松商業
もう一度全国の公立高校の代表として頂点に立って欲しいもので有る。
【優勝旗を手にする兒島主将】
【優勝した高松商業ナイン】
【私のなかで北島三郎、篠田三郎と並び三大三郎と言われる宮武三郎氏】
【高松港 桟橋前の大群衆】
【決勝戦 高松商業 宮武三郎氏、本田竹蔵氏と投げ合った早稲田実業の高橋外喜雄投手】
【1925年(大正14年)当時のアサヒスポーツ】
以上です。
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